有形 文化財/無形 文化財
桧淵書院
- 指定別 慶尚北道有形文化財第51号
- 位置 修倫面新亭里258
- 規模 1棟(正面5間,側面3間)
- 材料 木造
- 年代 朝鮮時代
- 指定日 1974年12月10日
地図
この書院は朝鮮中期の性理学者である寒岡鄭逑(1543~1620)先生が、宣祖16年(1583)に桧淵草堂を建て、人材を養成して多くの国家棟梁の人物を輩出した所で、寒岡の門徒達が仁祖5年(1627)桧淵草堂の場所に桧淵書院を建て、寒岡先生を主郷として仕え、粛宗16年(1690)賜額をうけたまわった。
高宗5年(1868)大院君の社院撤廃の時廃院したが、1984年再び士林(儒林)により復元されて、毎年郷村士林で春秋に祭祀をしている。
書院の前の庭の百梅園には神道碑が立っていて、遺物展示館には先生の著書及び文集の各種板刻等の遺物,遺品が保存されている。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→桧淵書院(乗用車で20分所要)
東方寺址七層石塔
- 指定別 慶尚北道有形文化財第60号
- 位置 星州邑禮山里
- 規模 1基(7層
- 規模 石造(花崗岩
- 年代 高麗時代
- 指定日 1974年12月10日
地図
この塔は星州邑内から倭館へ行く 33番国道に沿って約1km離れた道路沿いに位置しており、 新羅8世紀末哀荘王の時に建立された 東方寺境内にあった石塔で、塔の様式を見ると高麗初期に造成されたと見られる。,
東方寺は壬辰倭乱の時に全焼され、石塔の屋蓋石は毀損 されて2層塔身までは両側隅柱と中央部支柱3層塔身からは隅柱だけ残ってあり、1層, 2層,3層屋蓋石4角には蓮華模様があり、蓮華の模様が彫刻されていることが特色である
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→星州~倭館間(乗用車で5分所要)
双忠事蹟碑
- 指定別 慶尚北道有形文化財第61号
- 位置 星州邑京山里295ー1
- 規模 1基
- 材料 石造(花崗岩)
- 指定日 1974年12月10日
地図
星州邑京山里ソ厶ン峠にあるこの碑は壬辰倭乱(1592)の時義兵長諸沫将軍とその甥諸弘録の業績を刻んだ碑で、 碑の高さは2.16m 横79cm,厚さ37cmだ。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→京山里(乗用車で5分所要)
法水寺址三層石塔
- 指定別 慶尚北道有形文化財第86号
- 位置 修倫面白雲里1214
- 規模 1基(三層)
- 材料 石造(花崗岩)
- 指定日 1975年12月30日
地図
修倫面白雲里に所在する法水寺址三層石塔は統一新羅後期哀荘王(802年)の時に大寺刹である法水寺が建立された当時に立てられた塔で2個の基壇と三層塔身で構成されており、 6mの高さの花崗岩で作られた新羅式一般石塔だ。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→修倫中校→白雲里(乗用車で35分所要)
法水寺址鐘竿支柱
- 指定別 慶尚北道有形文化財第87号
- 位置 修倫面白雲里1316
- 規模 1基(三層)
- 指定日 1975年12月30日
地図
統一新羅後期哀荘王(802年)の時に建立された新羅の大寺刹である法水寺の入り口に立てられたもので、寺刹創建の時に一緒に建てられたのかは疑問である。 全体的に優雅で端雅な支柱で鐘竿支柱系譜研究に貴重な資料になる。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→修倫中校→白雲里(乗用車で35分所要)
世宗大王王子胎室
- 指定別 慶尚北道有形文化財第88号
- 位置 月恒面仁村里山8
- 規模 19基
- 材料 花崗岩
- 年代 朝鮮時代
- 指定日 1975年12月30日
地図
世宗大王の王子胎室は星州郡月恒面仁村里胎峰頂上に位置し、現在19基の胎室が世宗20年(1438)から世宗24年(1442)間に作られた。この胎室は首陽大君を含めた世宗の嫡庶18王子と王孫端宗の胎を安葬した所だ。
初めは20余基の胎室を置いてあったが首陽大君が端宗を追い出した後これを反対した首陽の同腹の弟である錦城大君、異腹の漢南君、永豊君、その事件に罪もなく連坐された和義君、及び癸酉靖難の時に亡くなった同腹の弟安平大君の胎と蔵胎碑等は世祖3年(1457)山の下にほり捨てたが、1975年散らばった墓壇石を探し復元した。ここは全国で一番多く胎室が集中して在る所だ。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→月恒面→仁村里(禅石寺30分所要,1日2回運行)
星州甫月里三層石塔
- 指定別 慶尚北道有形文化財第119号
- 位置修倫面甫月里852
- 規模1基(3層)
- 材料花崗岩
- 年代朝鮮時代
- 指定日1979年1月25日
地図
この塔は甫月里塔内(ジョルゴル)村にあり、寺の名前が伝われていないのをみると蒙 古侵入の時でなければそれとも壬辰倭乱のとき火 災で焼失したと推測され、塔材も周辺農地に散らばっ ていて、すき間が開いて角が割れた石塔の基壇部分だけが元の場所にその模様を現していてその外の部分品 は周囲の田畑の中に埋もれて四方に散らばっているのを1979年12月地盤石の上に上下の2層基壇を重 ねその上また3層石塔を上げた構造で復元した
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→修倫中校→(乗用車で40分所要)
星州星山館
- 指定別 慶尚北道有形文化財第143号
- 位置 星州邑京山里285
- 規模 1棟
- 指定日 1980年12月30日
地図
この建物は朝鮮時代の星州牧の官衙の建物として闕牌を祭る主官と屋根を一段下げ八作屋根を載 せた両翼舍で構成されていたが、現在残っている部分は右翼舍部 分で中央から降りてきた官員や外国野の使臣達が泊まった所で最初は今の星州初等学 校の場所にあったのを孝宗8年(1657)崔継勲牧師が郡庁舎の場所に移り造った
その後幾度もの修理があって、1994年現郡庁舎新築工事によって郡庁舎の後ろ側の現在の場所に移し建てた。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→京山里(乗用車で5分所要)
星州百世閣
- 指定別 慶尚北道有形文化財第163号
- 位置 草田面高山里542
- 規模 1棟(正面7間・側面7間)
- 材料 木造
- 年代 朝鮮時代
- 指定日 指定日
地図
この建物は朝鮮時代の星州牧の官衙の建物として闕牌を祭る主官と屋根を一段下げ八作屋根を載 せた両翼舍で構成されていたが、現在残っている部分は右翼舍部 分で中央から降りてきた官員や外国野の使臣達が泊まった所で最初は今の星州初等学 校の場所にあったのを孝宗8年(1657)崔継勲牧師が郡庁舎の場所に移り造った。
その後幾度もの修理があって、1994年現郡庁舎新築工事によって郡庁舎の後ろ側に現在の場所に移し建てた。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→草田面→高山里(乗用車で20分所要)
星州郷校明倫堂
- 指定別 慶尚北道有形文化財第165号
- 位置 星州邑禮山里131
- 規模 1棟
- 指定日 1982年12月1日
地図
この建物は、星州邑禮山里校村むらの東側の山の下にある、朝鮮時代の地方教育機関で太祖6年(1397)ソウルに成均館、地方には郷校を建てる時、星州郷校も建立され、 右廟左学の珍しい配置法を取っている。 星州文廟明倫堂は、郷校本来の機能である教育の為の講学空間の中心建物として、6・25の時消失された前面左右に対称に配置されていた、東・西齋と合わせて儒生達の生活がなされた実用的な空間だ。
星州郷校大成殿は、郷校の精神的支柱であり、祭享空間の中心の建物として大成殿には 中国五聖 (孔子など)と東方18賢(金集など)の位牌を祭ってあり、毎年春・秋に釈尊 祭を奉じている。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→禮山里(乗用車で5分所要)
星州李氏影幀
- 指定別 慶尚北道有形文化財第245号
- 位置 大家面玉花里19
- 規模 10棟13幅
- 年代 朝鮮粛宗(1714)~ 純祖25年間(1825)に改摸
- 指定日 1989年5月30日
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この影幀は、高麗時代から朝鮮時代まで星州李氏の先祖で国家に貢献した、 10賢の影幀13幅で全部改摸又は重摸した 功臣図像で、当初製作年代は未詳で盗難及び火災の 危険により改摸(写し書く)し、 安山影堂に安置せず別に保管している。
※ 影幀 :李長庚 李兆年 李承 / 李褒 李元具 李稷 / 李濟 李師厚 李ウ 李崇仁
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→碧珍面→紫山里(乗用車で30分所要)
續自治通鑑綱目板木
- 指定別 慶尚北道有形文化財第259号
- 位置 大家面七峰里525
- 規模 673枚
- 材料 梨の木
- 東岡 編纂者金ウオン 1540~1603
- 指定日 1991年5月14日
地図
この板本は、宣祖22年(1589)己丑獄事に巻き添えになり、會寧に配所の時 (1589~1592)東岡金ウオン先生が著述したもので、 草稿の状態で流転されたが英祖47年(1771)王命により内閣活字で出刊され、 木板本は純祖8年(1808)王命を受けた士林の斡旋により、晴川書院で板刻を出刊した。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→大家面→七峰里(乗用車で15分所要)
東岡金宇
- 指定別 慶尚北道有形文化財第260号
- 位置 大家面玉花里山32ー1
- 規模 1基
- 材料 石材
- 指定日 1991年5月14日
地図
この碑は、東岡金宇先生の学問的業績を称える為に景宗3年(1723)に建てた神道碑である。
この碑は、葛菴李玄逸が作って眉ス・許穆が書いた。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→大家初校→玉花里(乗用車で15分所要)
晴川書堂
- 指定別 慶尚北道有形文化財第261号
- 位置 大家面七峰里532
- 規模 1基
- 材料 木材
- 年代 朝鮮時代
- 指定日 1991年5月14日
地図
大家面七峰里サドシル村に所在する晴川書堂は、英祖5年(1729)創建されて、正面5間・側面1.5間八作蓋瓦谷屋根で管理舎・大門軒で一角を成している以後1910年には、心山金昌淑が愛国改蒙運動の一貫として、晴川書院を私立星明学校と言う看板を掛けて校舎として活用されたこともあり、心山先生が一時住んだ事もある建物だ。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→大家面→七峰里(乗用車で15分所要)
星州金大基所蔵典籍
- 指定別 慶尚北道有形文化財第282号
- 位置 修倫面修倫里873
- 規模 12種27点
- 指定日 1994年8月13日
地図
この典籍は高麗後期の刊本仏経を始めとして、 朝鮮時代儒教・漢文学・道学・兵学等の書 籍、地図など多様である。
これら典籍の中には、所有者の先祖達の手澤本もあるようだが大部分収集本である。その中でも、高麗版仏経と曼陀羅を秘録して註心賦・范大史精選杜詩・陽谷集など貴重な本が相当数ある
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→修倫面→修倫里(乗用車で25分所要)
遊金剛山卷
- 指定別 慶尚北道有形文化財第317~2号
- 位置 草田面文徳里275(宋ヨンソプ所蔵)
- 規模 1册(12枚)。20ラ29cm
- 材料 楮紙
- 指定日 2000年4月10日
地図
宣祖37年(1603)に觀察使、 李光俊と彼の二人の息子である民ソン・民ファン・崔リ プ・名筆家の韓石峯先生が、一緒に金剛山を遊覧した内容を書いた紀行文で、当代文章家である杆城郡守崔のリップが作り、名筆家である韓石峯先生が書き、李好閔が紀行文を読んで感想文を書いてあり、この人たちの交流関係も分かられる資料である。
晩悔亭 宋世彬の13代主孫である宋ヨンソプ氏が、家宝として保管してきたもので、晩悔亭 宋世彬は紫巌公民ファンの婿という関係で、永川李氏家から冶城宋氏に流入された物と伝わっている。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→草田面→文徳里(乗用車で15分所要)
木綿紬
- 韓国で綿を栽培して木綿を紬始めたのは、高麗末朝鮮初期の事である。この村にその技法を導入した人は、この村に生活の場を置き、15世紀 後期郡守を務めた権有儉の叔母である驪興閔氏だ と伝わっているし、この時から500余年の間、綿の栽培及び木綿紬技法はかろうじて継承されている。
地図
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→龍岩面→本里里(乗用車で25分所要)