記念物
月會堂
- 指定別 慶尚北道記念物第48号
- 位置 碧珍面樹村里890ー3
- 規模 1棟(正面7間・側面2間)
- 材料 木材
- 年代 朝鮮時代
- 指定日 1984年5月21日
地図
この建物は、朝鮮中宗11年(1516)に園亭呂希臨先生が「藍田郷約」を講論し、それを実行 するために講會所に創建した建物である。
建物の形体は、正面7間・側面2間・切り妻屋根で出来ている。
先生がこの建物の名前を、月會と名付けたのは、「月一講會」と言う単語から取った物で
1ヶ月に1回だけでも集まり郷約講會を持たなければならないと、さとし戒めて作った名前であって、その講會には、誰でも参加することができた。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→龍岩面→本里里(乗用車で25分所要)
星州海平洞側柏の木
- 指定別 慶尚北道記念物第49号
- 位置 碧珍面樹村里993ー3
- 規模 1本
- 指定日 1984年5月21日
地図
コノテカシワはヒノキ科に属する常緑針 葉樹として、灌木又は喬木で、高さ約25m で、地上2.61mの高さから枝が分かれ、樹齢は約320年 程度で五つの枝の中で一つの枝が正常的に育っている。
樹形が奇妙に見える名木として良く 保護されてきた木だ。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→碧珍面→樹村里(乗用車で15分所要)
道山書堂
- 指定別 慶尚北道記念物第59号
- 位置 船南面文方里511
- 規模 2棟
- 指定日 1985年10月15日
地図
この書堂の起源は1799年(朝鮮正祖23年) 洪宇範が茅屋三間 を建て竹林齋として、郷学の場にしたところにある。
1807年(純祖7年)子孫達が 書堂を拡張して大榜齋とし、誰でも習う事が出来るよう門戸を開放し、その後、運営を継承した洪宇範の甥 である洪ウォンと洪瑩は、1960年(哲宗11年)に別途に、道山書堂を新築する一方、1872年(高宗9年)には大榜齋を改築し附設高山塾を開いた。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→船南面→文方里(乗用車で20分所要)
海東清風碑
- 指定別 慶尚北道記念物第82号
- 位置 碧珍面鳳溪里478ー2
- 規模 1基
- 材料 花崗岩
- 年代 1936年
- 指定日 1990年8月7日
地図
海東清風碑は1936年全国の儒林に抗日意識を高揚させた紫下・張基ソク義士の忠義と節義を称える為に建てたもので高さ320cm・幅110cm・厚さ45cmだ。
この碑の横には1937年日本の警察が、碑を破壊しようとした時、自決死で拒んだ張義士の婦人である朴氏の紀烈碑が立てられ碑文は鄭演普が作り金禹鎭が書いた。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→大家面~碧珍面間→鳳溪里(乗用車で15分所要)
心山金昌淑生家
- 指定別 慶尚北道記念物第83号
- 位置 大家面七峰里504
- 規模 1棟
- 材料 木材
- 指定日 1991年5月14日
地図
この建物は韓末、独立運動家でありながら儒学者でもある、心山金昌淑(1879~1962)の生家で、火災に会遭って、1901年修造した建物だ。
先生は韓国の独立運動に大きく貢献した民族指導者で、光復後、 儒道會を組織し、成均館大学を創立するなど民族文化暢達にも寄与した。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→大家面→七峰里(乗用車で15分所要)
禿用山城
- 指定別 慶尚北道記念物第号
- 位置 伽泉面金鳳里山42ー1番地一圓
- 規模 7.7km
- 材料 石材
- 年代 伽耶時代(4世紀頃推定)
- 指定日 1995年1月14日
地図
星州郡伽泉面金鳳里禿用山頂上に位置した禿用山城は、小白山脈の主峰である修道山の山脈に積んだ海抜955mの禿用山頂上に位置している。
山城の周りは7.7km(高さ2.5m、幅1.5m)にわたり、山城内の水源が豊富で、活用空間が広くて、長期戦闘に備え作られた包谷式山城で、嶺南地方に構築された山城の中で一番大きな規模だ。
そして、城の築造年代は正確にはわからないが、1,500年前、星山伽耶の時に積んだ物と推測され、壬辰倭乱を避ける最中発見されたと言われている。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→伽泉面→金鳳里(乗用車で40分所要)