民俗資料
大山洞校理宅
- 指定別 慶尚北道民族資料第105号
- 位置 月恒面大山里411
- 規模 1廓
- 材料 木材
- 年代 1760年
- 指定日 1983年6月20日
地図
校理宅は創建主、李碩九の子孫である李龜相が、一番きれいな官職である弘文館校理を歴任したことで名付けられ、自然地形の傾斜に沿って村の中道を上って行けば、石垣に囲まれた大門軒の姿が丘の道に沿って高く位置している為にたいへん重厚でありながら端麗な感じを受ける建物で記録によれば 1760年頃創建されたと伝われ、母屋と舎廊軒が中門を間に置いて離れている。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→月恒面→大山里(乗用車で15分所要)
大山洞北扉故宅
- 指定別 慶尚北道民族資料第44号
- 位置 月恒面大山里421
- 規模 1廓
- 材料 木材
- 年代 朝鮮時代
- 指定日 1983年6月20日
地図
北扉故宅は思悼世子の護衛武官であった訓練院主簿、李碩文が基盤を築いた所で、思悼世子の惨死後、朝鮮英祖50年(1774)に世子を仰ぎ慕い北向きに紫門を出して一生を隠居し、忠節が込められている所である。
藏版閣1軒・内大門軒・馬房・アレチェは無くなり、独立舎廊軒・母屋の口の字形配置及び、高柱大門 などは当時高官家屋の特色をそのまま持っていて、比較的に年代を信じることができる建物で、韓屋住宅史編年の基準となる重要な資料だ。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→月恒面→大山里(乗用車で15分所要)
大山洞寒洲宗宅
- 指定別 慶尚北道民族資料第45号
- 位置 月恒面大山里408
- 規模 1廓
- 材料 木材
- 指定日 1983年6月20日
地図
この建物は英祖4年(1767)に李敏儉が創建して、1866年性理学者である寒洲李震相が重修した建物で、ハンゲ村の一番内側で、東側山麓に位置してあり、東郭宅とも言われ、幽玄な風情と共に家の原形が最も良く残っているので、T.Vや時代劇の場面によく登場する家だ。
路地と塀の周囲の老松などが成す景観も大変印象的である。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→月恒面→大山里(乗用車で15分所要)
大山洞月谷宅
- 指定別 慶尚北道民族資料第46号
- 位置 月恒面大山里422
- 規模 1廓
- 材料 木材
- 指定日1983年6月20日
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月谷宅は李銓照が1900年頃にこの家を創建して1930年に家廟、1940面頃に別堂を増築した。今世紀に入ってから建てた家でも正寝は一字形で構成され、アレチェ、庫房軒、中門軒等は口の字形で配置されていて、舎廊軒は独立棟にするなどこの村の古来の建築配置法に従っている。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→月恒面→大山里(乗用車で15分所要)
星州水成里中梅宅
- 指定別 慶尚北道民族資料第86号
- 位置 修倫面水成里856
- 規模 5棟
- 材料 木材
- 指定日 1989年5月25日
地図
この建物は星州地方では珍しく花崗岩で2mの高さで築台を積んだ後、その上に建立した特異な建物である。この家は20世紀初に入って伝統住宅の空間構成にも時代の流れに足をそろえ合理的な考慮がはらわれ始めた姿を良く見せている。
即ち、伝統的な住宅の配置法と構造様式の骨格を維持しながら も台所の後園を中心に饌房・内室・台所を自由に出入りするように連結し家事労働を機能的に集約化したのが目立つ。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→大家面~修倫面→水成里(乗用車で20分所要)
朴矩孝子旌閭碑
- 指定別 慶尚北道民族資料第116号
- 位置 船南面道成里山83
- 規模 1基
- 材料 花崗岩
- 年代 中宗30年(1535年)
- 指定日 1999年3月11日
地図
この碑は朝鮮時代世宗朝の孝子(親孝行な子)で有名な朴矩の旌閭碑でその親孝行を称える為に国から下された物である。
碑は元来その墓の南側の白川河にあったが洪水のせいで廣寧山へ移してから、1818年現在の位置に碑閣を建立し安置した。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→船南面→道成里(乗用車で15分所要)
星州大山里進士宅
- 指定別 慶尚北道民族資料第124号
- 位置 月恒面大山里128ー1
- 規模 3棟
- 指定日 2000年9月4日
地図
この建物は星州李氏「正言公派」の子孫達が住んでた家屋で、現在、村の上側中央に位置した大家たちの中で一番古い家として知られている校理宅が1760年代の建物であると言うことを考えると、この家は年代がすこし低くて正言公派27代柱鎭(1748~1825)が1798年 に又は29代文相(1810~1879)が1858年に建築した物と推定される。
この家屋は禮安宅と呼ばれたが文相の婦人が眞城李氏で禮安出身であるからだ。
- 観光コ-ス : 星州バス停留所→月恒面→大山里(乗用車で15分所要)